人と芸術と魂と

アーティストをたずねて ほか

はじめに

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(c)CBD Tarot de Marseille by Dr.YoavBenDov, http://www.cbdtarot.com

 

わりと長いあいだ、テレビ局でライターをしていた。今でも忘れられない人がいる。ある番組についていたときにいっしょだったADのKくんだ。でしゃばらずしっかり業務を遂行する乙女座っぽい男子で、ディレクターやAD仲間にも信頼されて好かれていた。クールながら少年っぽくどこか話しやすさがあった。その後、番組をはなれてしばらくしたころ、人づてに彼が助成をえて画家として留学するためにADをやめたことを知った。

きけばこれまでに何度も個展をひらいているらしかった。大変なAD業務をこなしながら、自分の夢にむかって進んでいたんだなぁ。応援する気もちを伝えたくて携帯にかけたが、呼びだし音はひたすらつづいた。彼をかわいがっていたディレクターによれば、準備がいそがしいのか4~5回しつこく食事にさそってようやく応じる感じだったらしい。

晩秋になり思いがけず彼の訃報がはいってきた。自殺だった。当時のスタッフとともに火葬場にむかう道中、ふきつける風がつめたくて震えていたのを覚えている。骨壺をかかえた彼のおとうさんが視界にはいると涙がとめどなくあふれた。タチの悪いマジックを見せられている気がした。周囲が声をしぼりだしておとうさんになぐさめのことばをかけるなか、おとうさんは泣きながらこちらに一目散に走りよってきた。

前日に不思議な夢をみていた。幅のひろい大きな道を光につつまれた誰かがこちらにむかって歩いてくる。そして顔を近づけ手をふってみせる。しかし肝心の顔はよくみえない。くるっと背をむけて元きたほうへと去っていく姿を見おくった。

訃報をきいたときああそうか、と思った。電話をかけたときにでなかった彼が挨拶にきてくれたんじゃないか、と。そういうことをしそうな男子だったから。彼のおかあさんが油彩の自画像をみせてくれた。どこか怒っているような神妙な顔つきをしていた。いまでも11月になるとふと彼のことを思いだす。

2011年の東日本大震災はおおくのひとと同様に契機になった。東北の地で被災して地元のひとたちといっしょに歌をとどける歌手、ふるさとの復興のために100カ所近くを演奏してまわるチェリスト、自身でボランティア活動にも参加しながら舞台のメッセージをとおして励ましの思いを伝えたいと願う俳優などたくさんのひとに話をきかせてもらった。誰もとりたてて、使命などということばは使わなかった。ただこれまでの人生の道のりから自分はこういうことをやることになったのだと納得しようとしていた。

震災からしばらくして東京のあるコンサートに参加した。自分をふくめたまわりの見ずしらずのお客さんが根っこの部分でつながっていると突然感じた。みんなでひとつのかたまりのような液体になって漂っているようだった。真っ赤なドレスのヴァイオリニストが奏でる音がびゅんと飛んできて、体内に吸いこまれてスパークした。

この世に音楽があって本当によかった。被災地のひとも音楽や美術や文学、何でもなにかひとつでもあれば少しはこころが落ちつくんじゃないかと勝手ながら祈った。ふとあるニュース映像が思いうかんだ。被災地の仮設住宅にすむ年配の女性たちが口々に心細さを洩らすなか、ひとりだけ雑誌をよみながら「これがあるからそんなにさみしくない」といっていた。

 

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(c)CBD Tarot de Marseille by Dr.YoavBenDov, http://www.cbdtarot.com

 

あれから芸術にたずさわるひとたちに話をうかがって発信していくようなことをしたいと考えていた。なかなか最初の一歩をふみだせずにいた。ある偶然から文学研究者のAさんとしりあって、自分の思いを話したところ「まず私からやってみたら」とあかるく背中をおしてくれた。Aさんはご自分の貴重な体験を話してくださったが、それはまさにこのブログのあり方を示すような内容だった。Aさんとの出会いに心から感謝してこれからようやくはじめていこうと思う。

 

2018年12月20日(鰤の日 シーラカンスの日 霧笛記念日 人間の連帯国際デー)