人と芸術と魂と

アーティストをたずねて ほか

インタビュー08:遊び心を大切に仕掛けで見る人との会話が生まれる作品を 日本画家・杉山佳さん

今回、古山結さんからのご紹介で登場していただくのは杉山佳さん。昨年12月上旬に東京藝大の院生による博士審査展が開かれていて、杉山さんの作品や論文発表もそこで見られたのだが、残念ながらタイミングがあわなかった。

その博士修了作品「der-rahmen Ⅷ 部屋曼荼羅」は、古来、日本で親しまれてきた見立てと西洋ふくむ既存作品からのサンプリングで「不在」というテーマを表現。曼荼羅の構図を使って不在の部屋の連なりによる集合住宅をあらわしていて、それがうまくハマっている。高さ3m以上はあろうかという巨大さも宇宙的で瞑想的だ。この椅子はもしかしてゴッホの…?なんていう所々にみえる遊び心も楽しい。これはやはり直接見ておきたかった。

 

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《der-rahmen Ⅷ 部屋曼荼羅》 雲母麻紙、キャンバス、岩絵具、パネル、コーヒー、紅茶、銀箔


作品は取手校舎の共同アトリエに保管しているということで、部分的にでも見せてもらうため杉山さんを訪ねた。2度目の取手。今回も敷地内の「理想」と刻まれた石碑を目にしてアトリエへと向かう。校舎内は夏でも冬でも変わらず薄暗く、がらんとしている。教えられた研究室の扉の向こうから、ドンドンと何かを叩く大きな音とともに聞こえてくる人の話し声。あたたかい室内に招かれてみると、アトリエのパートナーの方が制作中であった。

20畳近い空間も2人でシェアすると、たくさんのキャンバス、道具やら何やらを置くとちょうどいいくらい。床に教職の授業で使用したという石膏の頭部が転がり、無造作に置かれた椅子や机がまたいい感じである。ここで出来あがった作品を眺めながらひとり静かにコーヒーを飲む一時は、至福ではないだろうか。そんな妄想がふくらむ。

壁に展示された「der-rahmen Ⅷ 部屋曼荼羅」はメインを取り囲む区画に3、4つの小作品が並べられ、それが繰り返し配置されている様はなかなかに壮観だった。一つひとつが、ハッとさせられる色づかいにザラザラとして、凹凸がある擦れの絵肌が神聖なあたたかさを感じさせる。しばし無言で見入ること10分近くー。


修士修了作品から3年にわたるシリーズ展開

―これだけでも迫力ありますが、完成版は何枚くらいでつくられたのでしょうか

過去の作品も使ったりして160点近くありますね。制作期間は2か月くらい。当麻曼荼羅、浄土図ですね、真ん中に阿弥陀如来がいて脇侍がいてという3つの構図を引用しています。それ以外は集合住宅の「間取り」に見立ててつくっていて。メインの阿弥陀如来の見立てとしては「仏涅槃図」を引用しました。中央のソファを椅子などの家具が取り囲む風景を描いて、弟子や動物たちが嘆き悲しむ様子になぞらえています。人の見立てを描くというのがコンセプトになっているので。

こんな感じで多くの区画には元ネタがあって、引用しているものの入れ子になっています。それがひとつの見せどころですね。室内になるので、引用はピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤールが多くなりましたけど、ほかにはグスタフ・クリムト、藤田嗣治、ヴィルヘルム・ハンマースホイ…いろいろです。

 

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《der-rahmen Ⅷ 部屋曼荼羅》部分

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《der-rahmen Ⅷ 部屋曼荼羅》部分

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《der-rahmen Ⅷ 部屋曼荼羅》部分

<クイズ!これらの引用元の作品は何でしょう?答えは記事最後に…>

 
―今作のタイトルを見ると、「der-rahmen Ⅷ 部屋曼荼羅」ということで、バージョン8ということになりますか

そもそもは修士修了の「der-rahmen」から始まっていて、3年間いろいろ試行錯誤してこうなったという集大成的なものです。最初は本棚のモチーフからスタートしていて。本棚の連続性から、曼荼羅、磯部行久、ロベール・クートラスと引用元を思いついて最終的にそれでつないだ感じですね。

本棚がある室内風景を考えていくうちに、机や椅子といった家具の重要性に気がついて。自分の所有物がその人となりを表すというところがありますよね。たとえば写真家の都築響一さんの部屋シリーズを見ると、同じ1ルームであっても住む人によって全然違う。そこから集合住宅のイメージがでてきました。部屋主らしさをあらわす家具があって、椅子といえばゴッホみたいな感じで連想的にでてきたというか。特に椅子はフォルム的にも使い勝手がよくて優良なモチーフですね。


―ゴッホの椅子ということでいうと、ご自身の肖像は?

僕のポートレイトとしては、漫画「ドラえもん」ののび太の机を引用した「宿題」という作品です。父が土木設計を生業にしていて、昔から父の部屋には大きな製図台や専門道具がたくさんありました。そうした人物のパーソナリティを表すもので、より人物像が伝わるように再構成して画面をつくっています。

 

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《宿題》土佐麻紙、岩絵具


―有名作品から人物を消して見立てるというのがおもしろいですね

自分が一鑑賞者としてみたときに、人物が描かれた絵にはあまり心惹かれなくて…。西洋絵画はリアルな作風が多いですけど、むしろ人物を描かないほうが渋くていいなと昔から思っていました。戦前の東洋画のシステム、引用とか見立てを取り入れているものの、日本画はあまり参考にしていません。色味とかもテキスタイルからの引用が多いかな。日本画云々の話をすると皆尺度が違うのでややこしいのですけど、僕は東洋画の研究をしてきたということで。

あとはこれまでさんざんやってきた、デッサン的に写実的に描くというところから離れたくなったんですよね。上手い絵を描かなくては、という気負いみたいなものがなくなったことも関係しているかもしれません。


―涅槃図は若冲の「果蔬涅槃図」(野菜涅槃図)が思い出されますが

日本の絵って昔から遊びというか洒落がきいているものが多くて。若冲や蕭白も結構ふざけているし。僕は最初のころ古い家並みや海とかマジメに頑張って描いていたんですけど、もう少しゆるくていいのかなと。見たときに頓智の要素があるといいなと。和歌の本歌取りのようなもので、教養が試されている部分もありますよね。

見てわからなくても話して「なるほど」となったらおもしろい。例えばこれは秋野不矩なんですといってわかってくれる相手だったら、仲良くなれるかなぁとか。大学にいるとオリジナリティを求められるのですけど、何が個性かは難しいじゃないですか。個性?なんぼや、もとからパクっていますという(笑)。まぁ引用していかにひねるかがミソなわけですけど。

 

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《室内涅槃図》雲母麻紙、岩絵具

 
昆虫標本箱が原点!? 技法探究の日々をへて訪れた変化

―出発点になっている修士修了作品「der-rahmen」(大学買い上げ)では本棚が並んでいる様子が描かれています。なぜこれを?

このときはまだ「不在」はテーマではありません。まず造形的なところでいうと、画面が四角形で本棚も四角形、本も四角形という入れ子の構成をやってみたくて。子どもの頃は昆虫採集が趣味で標本箱に蒐集していたんですよ。それにも似た感覚で並べ方や組み合わせによって、連続するものや全体ががらりと変わるのがおもしろいなと。

僕は奈良の生まれで、お寺や古い街並みがある環境で育ったからか古いものに興味があって、そういうものを美しいと感じていて。それで修士くらいまではノスタルジックな時の流れを感じさせる風景をテーマに描いていました。古い風合いを出すためにいろいろ技法の研究もしながら。最初は建造物を描いていてそのうち海や川も描くようになって…ただ水系は物質的に弱いので技法とのミスマッチもあったりして。困って資料探しのために出かけた古本屋の本棚を見て、これかなとピンときた感じで…。

 

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《der-rahmen》土佐麻紙、岩絵具、銀箔


―古さを出すための技法というのは

このときは画面を洗いまくって、麻紙をグシャグシャにする揉み紙でダメージを与えていますね。ちょうどあそこに説明しやすい作品があるので…(部屋の隅へ。松柏日本画大賞展(松柏美術館)で優秀賞をとったものらしい)。

 

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《冬の日》

最初、全体にベースの色を塗ってさらに厚塗りして、揉み紙でグシャとさせてからアイロンで伸ばしてまた色を塗る。そうやって下地をつくってから木や窓などを全部描いて、その上からまた銀色を塗ったりして。木が描いてあるところとか、マチエールが強すぎると感じたら削ったりもします。

これは雲母麻紙を使っているんですけど、分厚い紙だと溝ができて膠がたまって絵具が割れやすいんですよ。だから技術的にやれないことが多い。ただ大画面になると厚い麻紙でないともたないので使いましたけど。本当は薄い麻紙でやるほうがよくて、部分的に揉み紙がほしい人は薄い麻紙でつくってそれを貼りつける人もいるみたいです。ほかには違う絵具の色を盛り上げて塗ってから、ヤスリなどで削り出すことを繰り返すと、古い風合いがでますね。このときもいろんな色を塗っては洗い流しています。

ああ、こういう技法については、全部自分で本をみながらやっています。大学ではあまり特別なことは教えてくれません。今はどうなのかわかりませんが、僕らのときは基本教えてくれない方針で。課題を与えられて自分で研究しながら自分で仕上げる。だから逆に薄く塗る技法とかはわからないです。それぞれ学生のスタンスによりますけど、ちゃんとやっていれば学部にいるうちに尖ってくるし、洗練されてくるパターンが多いですね。僕の場合は、途中で担任が退官されてちょっと孤児状態になったときもありましたけど(苦笑)


―「der-rahmen」のバージョンアップで、どの辺が転機になりましたか

モチーフが本棚に変わっただけで、技法的には同じなので博士にいっても少しの間何を描いたらよいかフラフラしていたんですよ。先生から洗うとか削るとか技法はもういいじゃないかといわれたこともあり、絵をつぶさないで描くための画面構成をどうしたらいいかを考えるようになって。「der-rahmen Ⅳ」から変わりましたね。

大学院の素描展がきっかけで、ドローイングのノリでシンプルに描きたいと思うようになったのです。このときはチェンバロがモチーフで、生地といって滲み止めがされていない麻紙に、ドーサ液という滲み止めで描いたものをコーヒーや紅茶を刷毛で流して浮き上がらせる技法を使っています。

鍵盤は白鍵を白いドーサ液で描くことでマスキング状態になり、裏から墨をいれても色が入らないわけです。そうなると筆の勢いで線がひけて、一発勝負でできるようになる。下図を描いて転写してその枠内で絵具を塗って削り出すというプロセスを一回なくしてみたかったんですよね。そうすれば当然違う結果があらわれるはずだから。

 

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「素描展」より

それから僕がいる第一研究室というのが、大作志向なところがあるんですね。大作は今ちょっといいのが出せないとなったときに、壁一面を画面に見立てて複数の作品を並べることを実験的にやってみようかと。博士1年のときに見立てに関する論文はすでに書いていたので。そうやって出来上がったのが「der-rahmen Ⅳ」なんですよ。今回の修了作品も、天井が高い大学美術館の空間に映えるものという、場所の制約からうまれているところがあります。

 

―新たな表現にあたっての苦心というのは

割りばしに墨をつけてすべての線を描いていた時期もありましたね。上手に描けないようにするために。そうはいっても多少はコントロールできてしまうのでドーサを使うようになって。初期は裏からだったのが、最近は画面の上から直接描く一発勝負が多いですね。あとはあまり物に即して描かない。要は写真的なフォルムや遠近感の角度だと見慣れたものになるので、四角に落としたときに肉眼では見えない角度にあえて設定してやると、全体の構成上いいかなと。


故郷・奈良で培われた美的感性 学んだことを還元しながら活動を

―杉山さんが日本画を専攻した理由は

中学生くらいまではデザインをやりたかったんです。美術系の高校に行って、担任だった日本画の先生の影響と、実際に岩絵具や麻紙を使ってみて肌にあったからですね。あとやはり奈良で生まれ育ったことも大きいかな。唐招提寺の欠損した木造如来形立像をみて見えないかたちを想像するとか、ないものに意味を見いだすような感性が育まれたと思います。「不在」を表す何かによって人物がいた気配を伝えるような見立ての手法は、僕にはしっくりきます。

日本画では曽我蕭白が好きですね。京都での回顧展に行ったときに、ぶっ飛んでいるものがたくさんあるなかで、「柳下鬼女図屏風」を見てこんな絵も描くのかと驚かされたので。ほかにあげると小村雪岱、福田平八郎です。


―博士修了作品を見られなかったのが悔やまれます

3月の個展では、博士審査展のときは違う構成しようと思っています。あれは高さが3.6メートル近くあるので画廊に入らないんですよ。コンパクトな横長バージョンにしようかと。曼荼羅の周辺のパーツになっている作品は、前回ちょこちょこ売れまして。一枚だけじゃなくて何枚かの組み合わせのセットで買って額装すると、ゆるくていいかなと思います。

そんな思いもあって、額のなかに小作品をたくさん並べたものも新たに出す予定です。僕は子どもの頃から蒐集が趣味で、今は蚤の市や古道具屋で買った雑貨を棚にコレクションしているんですけど、これもそんな感覚ですね。修了作品に加えて小作品は50点くらい。ギャラリー「アートスペース羅針盤」で開催予定です。

 

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自室のコレクション

―今後はどのような作品を?

自分がやっていないことは何かと考えると、人と動物を描いていないんですよね。今は人物がいる名画を使って人物を描かないことをやっているので、今度は人物がいない名画に人物を足してみる方向で…。

人物画は多少答えめいたものがあるし、上手い下手がですぎるし。何より情報過多で人数とか、動作、服装、表情とか…そうしたもので事足りてしまうので、遊びを入れる余地がなくなってしまうというか。かといってふざけた要素をいれるとパロディに堕してしまう…そういう意味では若冲はすごいなぁ。今自分がやっている路線だと、長い間出来るかなという思いもあるんですよね。上手い人は晩年になると結構見ていられなくなるほどへぼくなるパターンも多いので…。


―杉山さんは「nens」という美術グループでも活動されていますね

古美術商の方が子ども向けのワークショップを日本画でやりたいということで、声をかけたのが今のメンバーで。僕と同級生の文化財保存専攻の奴と先輩というメンツです。グループ名は、「瓢鮎図」からきていて。ハイエンドの文人画と商業ベースの山水画をあわせて画面に構成したという点で重要な作品なんですけど。自分たちが学んできた日本画をどうにか社会に還元できないかということで、ワークショップなどの活動をしています。日本画のグループはわりと珍しがってもらえますね。

高円寺の小杉湯ではライブペインティングをやりました。小杉湯は銭湯ではおなじみの壁画はなくて。春だったので屏風に対の構図で桜の木を描いて、日本美術でしかありえない技法を使ったこともあってすごく盛りあがりました。個人的にもこうした仕掛けを使って公共空間にアプローチするような作品をつくってみたいと思っています。5~6月くらいには有明の商業施設の杮落しとしてワークショップの話がもちあがっていたりして、今後もいろいろやっていきたいですね。

 

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小杉湯でのライブペインティングの様子

 

―画家としての理想は

瀬戸内海の島に住んで絵を描いて暮らせるようになりたいですね。瀬戸内国際芸術祭には年1回くらいは行っていますけど。鬼島、犬島とかいいかな。これは結構本気で考えています(笑)

<クイズ!の答え>
ピエール・ボナール「Young Woman Writing」1908年
エドゥアール・ヴュイヤール「テーブルを囲む友人たち」1909年
藤田嗣治「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」1922年

 

杉山佳(すぎやま けい)プロフィール

 

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 1988年奈良県生まれ。東京藝術大学美術学部 絵画科日本画 卒業。同大学院日本画修士課程 修了。同大学院日本画博士後期課程第一研究室3年在学中。個展「杉山 佳 展」を<3/23(月)~3/28(土)アートスペース羅針盤@京橋>にて開催予定。