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アーティストをたずねて ほか

インタビュー11:自他との対話から予定調和を超えるものを見つけたい 画家・小林大悟さんインタビュー

今春、中目黒にアートスペース「ヘルツアートラボ」が誕生した。地域とアーティストを繋ぐアートの実験場と称し、展覧会だけではなく未経験者も楽しめそうな作家による講座(有料)や対話型鑑賞(無料)が用意されている。偶然手にしたパンフレットから「アートを介してよい時間を共有できたら」という思いが伝わってきた。

25歳の画家の息子、ギャラリー設立の夢をもっていた夫を立て続けに亡くした漆崎孝子さんが、ご子息正樹さんの学友たちと立ちあげた並々ならぬプロジェクトだった。

画家・小林大悟さんは正樹さんとは多摩美術大学の同級生の間柄。オープン記念第2弾として小林さんの個展「  (伝わらなさの、困難と魅力)。」が4月下旬から1週間ほど開催された。特別養護福祉施設で「のびのびのじかん」という創作クラスの講師を務める彼は、子供たちが生みだしたものと自分の作品とをあわせて展示。

ガラス越しに見える賑やかでおもちゃ箱のような空間は、近くを通る子どもづれの母親を惹きつけ、個展期間中のワークショップでは親子に笑顔がこぼれた。自然と飾られている小林さんの絵の話にもなった。

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《生きとし生けるけもの》 162 x 130cm 和紙に岩絵の具 2021

Photo:Tommy-Jean KITADE

アート・コミュニケータ「とびラー」修了者(東京都美術館×東京藝大による養成講座)でもある彼は、とびラー仲間と個展会場からYou Tube配信を2回にわたって実施。個展タイトル(メインなしで副題のみ)は、社会福祉法人つみきの職員で「のびのびのじかん」を担当する五十嵐さんが打ちあわせのときに発した言葉からつけられたことが明かされた。

(伝わらなさの、困難と魅力)は多くの人が日常のコミュニケーションにおいて直面する事態であり、自らの選択を重ねていった先にその姿を現す。人間関係も創作物も人生も。今回の展示を中心に、作家活動と講師業を両輪とする理由や詩人とのコラボレーション、絵本づくりなどを通して目指す境地についてうかがった。

 

展示を通じて見えてきたもの

―今回のような展示は初ということで、会場での展示作業に1週間かかったそうですね

いろいろなタイミングと自分の思いつきが重なった結果、こういう展覧会になりました。僕の作品が出過ぎず引っこみすぎず、子供たちがつくったものとうまく調和するような空間をつくることが大切にした点ですね。

これまで施設の教室内や保管している暗い地下の倉庫でしか子供たちのつくったものを見る機会はなかったのですが、真っ白な壁の展示空間に持ってきてみると想定していたよりも1点1点にエネルギーの強さがありました。それでああ、大丈夫だなと。日頃は教室の運営に気を取られてじっくり眺める時間もなかったので、改めて観察、鑑賞することでつくられたものの新たな側面が見えてくるような面もあって。

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Photo:Tommy-Jean KITADE

 

―ラップでグルグルに巻かれているものがありますね。なぜこのような方法を?

大きな公募展に出した作品が落選して、搬出業者の方と一緒に引き取りにいったときの経験からきています。そのときは焦っていたせいか、緩衝材で梱包しようとしても手間取ってしまって。そうしたら業者の方が代わりにラップを持ってきて巻いてくれたんです。僕はそれを眺めながら「これは次の活動につかえそうだな」と。失敗を糧にというつもりはなかったんですけど(苦笑)。

実際に子供たちにやってもらうと、実はちょっと扱いが難しいんですよね。手でちぎれそうでちぎれない強度だったり、年齢や手先の器用さによってクルクル回すのが意外とできない子も多くて。でも素材として興味をもってくれる子は多かったという記憶ですね。

 

―展示にあたって現代アート一歩手前の匙加減ということをおっしゃっていました

それぞれいろんな文脈がありそうな感じで飾ることもできてしまう。ここにきて子供たちの作品をいじっていて感じたことのひとつで。ラップで包まれているものも設置次第では意味深になってくる。

ここにキャラクターのぬいぐるみを圧縮袋に入れて萎めたものがありますが、容器にぐちゃっとつめこんでいるので意味づけから免れていると自分では思っているんです。たとえばこれを1点ぽつんと壁に置いてしまったら、何で圧縮袋に入れられているんだろうとか、有名キャラクターを使っている理由は何だろうとか深読みされてしまうわけです。本来は純粋に行為として子供たちが楽しんだものが。

あとレコードですね。意外と一番苦労したかもしれない。レコード盤でレコードが回っているところに、筆や画材を置いて絵を描こうというテーマでつくったものなんですね。レコードには曲名が書いてあります。

これも飾り方次第で、ハイセンスで知的好奇心を掻き立てるものになってしまう。そうすると見応えはでるんですけど、僕や子供たちの意思とはどうにも違うように感じるし、この活動の雰囲気を伝えたいというところからは逸脱してしまうので常に警戒心がありました。でも美しくも見えてしまうみたいな魔力も感じてしまって、そこは頑張って抑えた感じはありますね。

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Photo:Tommy-Jean KITADE

 

今につながる「とびらプロジェクト」での経験

―「のびのびのじかん」ではどのような活動をされているのですか

「何を作ろう」ではなく、「何をしてみよう」という行為を目的として月2回、一日に2回、計4回ひとつのテーマで実践しています。たとえば箱を積むとか、ラップを巻くとかですね。広い解釈で子供たちがのびのびと楽しんでやってもらえることを目指していて。ひとり一人関心の持ち方も違いますし、小学生から高校生3年生までいるのでメンバーの組みあわせによっても反応が違います。

中学生以上は全体の3分の1程度ですが、明確にこういうことをしたいという意識やこだわりやパーソナルペースを確保したいという子も多くて、次年度はその子がやりたいようにやらせてあげる必要性があるなと思っています。昨年の6月から活動を始めているのですけど、やっぱり続けるうちに気づくことというのはありますね。

 

「とびらプロジェクト」での活動が元になっているとか

とびラーの3年間のなかで「のびのびゆったりワークショップ」という今の活動名につながるプログラムがあって、それに一番影響を受けました。全6回でひとりの子供にとびラー2,3名がついて美術館や美術展をテーマにしたプログラムを楽しむという内容なんです。

障害のある子もない子もみんないっしょで。場の空気になじめない、気分が乗らなくてやりたくないという子もいるんですけど、それもオッケー。それまでも多少の現場経験があった僕としてはこのことに衝撃を受けました。

子どもたちに何もしなくてもいいことを許容することで、彼らにとって居心地のいい場所になっていくんですよね。その過程を目の当たりにして、何かを作らせることだけが楽しい場づくりではないということを気づかされました。

 

「のびのびのじかん」にもそうしたスタンスは受け継がれているのですか

基本的なルールさえ守れば、テーマに沿った成果物を必ずしも提出しなくてもよくて、成果物より過程が大切、それに興味をもつこと、興味の持ち方だったり、意識の変わり方だったりが重要という捉え方でやっていますね。

年齢を重ねていくと成果を求められますよね、教える側もそうですし、子ども本人、保護者の方も成長や変化の証として。特に図画工作は物が残るわけですから。何かしら形にしないといけないという環境のなかで、技術力がついて成長していく子もいれば、最初はあんなに自由にやっていたのにゴールを決められて優劣をつけられると嫌になって離れていく子もいる。僕はどちらかというと離れていく側というか。

「物になる、形にしないとそれまでの時間、活動は本当にムダだったのか?」ということは、自分も学生のときに作品をつくりながら思っている節があって。今となって思うと、経験が少ないこともあってその答えをなかなか言語化できずにいて、だからこそワークショップの活動に興味を持ち続けていたのかなと。

 

ワークショップで気づかされたこと

―子供時代は美術少年ではなかったのですか

絵を描くのは嫌いではなかったですけど、特別上手いわけでも器用なわけでもなくて、ある意味美術が楽しかったという原体験がないというか。漫画が好きで小中学生がよく抱く憧れから漫画家になりたいという気持ちはあったけど、漫画を描いていたわけでもなく。美術高校に進学したのは、中学時代の仲のよい子が進学すると聞いて初めてそういう道があるんだと知ったからですね。

美大には一浪して入るんですけど、予備校的なデッサン力、写実的な描写力は身につかなくて、浪人時代は受験システムに適していない自分について考えたというか考えざるを得なくなってしまった。何とか大学に入ったけどどこか劣等感みたいなものがつきまとっていて。

そんなときに、今もやっている大学の小学生向けのワークショップ「あそびじゅつ」にアルバイトで行って子供たちと触れあってみて、衝撃を受けたんですね。

自分は技術がないことにコンプレックスを抱いていたけど、子供たちは年相応の技術しかなくても物凄く夢中になって何かをつくったり、新しいことを発見している。その姿勢に自分に欠けていたものを見つけて。

それからワークショップのお手伝いや見守り要員として、アルバイトでもボランティアでも何でもいいからとにかく時間があう限り行っていました。まわりにワークショップに興味をもっている人がほとんどいなくて、活動を通じて色々なものを得ているのにそれを他の人となかなか共有できずにいて。4年生のときのゼミで、グループでワークショップを実践する半年単位の特殊な授業があって、そこで初めて自分でやれることになりました。

当時は作家とワークショップや造形を教える仕事を両立させているロールモデルをなかなか見つけられなくて、どっちも捨てきれない自分としては悩んだりもして。今回の展示で、僕にとって創作と講師業は一緒なんだよということを自然に伝えることができたのかもしれません。

 

―展示にあたっては子供からの声を反映させていましたね

たぶん、僕に人よりも美術が好きだったという経験がないからこそでしょうね。この年でこんなことを言える、興味を持っているということに素直にすごいなと思ってしまうというか。面白い子供に会えば会うほど自分自身が昔、本当に空っぽだったなということを突きつけられるというか。

正直最初はいい気持ちはしなかったんですけど、だんだんそんな感じで教えるフリして教わっているというか、すごく有難い仕事なんだなと思うようになって。子供からアドバイスを受けて穴をあけたのも今回の展示空間なら許されると判断しました。

心のどこかに、子供に予想外のことをされたときにどう立ち回るんだろうという自分自身への好奇心みたいなものもあって受け入られてしまうのかもしれません。意地悪な見方をすればプロ意識がないといえるのかもしれないけど、ガチガチにプロの自分で固めないほうが面白いとも思うんですよね。

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Photo:Tommy-Jean KITADE

 

スタイルの変遷と自分らしさ

―そうした姿勢は絵にも表れているように思います。卒業制作の作品を拝見すると今とはまた違う感じですね

僕は方向性が定められなくて、分裂するかのようにいろいろなものを描いていて、1回やったことを次の作品にバージョンアップする形でつなげるみたいなことが全くできないんですね。卒業制作で何かを掴んだような気もして、それをなぞろうとしてもうまくいかない。全然違うスタイルでやってみるけど、それも続かないみたいな。

有名な美術ギャラリーのオーナーさんにポートフォリオのアドバイスをもらえるイベントがあって、卒業後行ったときに「統一性がない」「自分の絵の特徴となる共通項をいれないとダメ」と言われて。あーそうなんだと思いつつ結局やらない、できなかったというか。

どんどん広がってまとまらない一方でようやくこの1~2年で固まってきた、というよりある意味まわりが「小林さんらしさ」を見いだし始めたみたいな感覚で。まだまだ未熟ですけど、あの時焦って表面的に一貫性をもたせなくて自分の場合はよかったんだなと、今になって振り返ると思いますね。

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《鴟尾》333×248cm  パネルに岩絵の具、折り紙 2013

―方法論より表現したいものに忠実だったということですね

今僕が勤めている専門学校の影響も大きくて。卒業後に助手として五年間働いた場所でもあり、大変お世話になっています。50年以上の歴史があり、デザイン系・ファインアート系に分かれているけれど、大学と違って少人数制なんですね。僕は日本画卒業ですけどこの学校には日本画専攻はなくアウェイな環境、必然的にデザインや版画や油絵の先生方との交流が増えて視野が広がりました。

ある先生が「自分の知っている技法や画材にあわせてやりたいことを決めるのではなくて、やりたいことがあってそれに対してどういう表現方法が適しているかを探ることが自然な姿勢だよね」とおっしゃっていて、その一言にわりと救われたというか。つくってみたいと思ったことすべてを日本画の画材や価値観に乗せて表現しようとしなくてもいいんだと思えたことが大きかったです。

 

―モチーフは生き物が多いようですが

大学時代から、課題とは別にF0号という一番小さい規格サイズのパネルを常に用意してそちらに生き物を描くことは昔から多くて。自分のなかで昇華しきれないものを吐き出すみたいな感じで。紙に絵具をまき散らして見えてきた形がナマズっぽいからナマズにしようとか。そうやって画面にあらわれた形から生き物をつくることをしています。

動物園に行ってスケッチすることもたまにしますけど、自分のなかではむしろ不自然さがあって、今は実在するものもしないものもどっちも描きますね。

 

―大型作品「生きとし生けるけもの」も同じやり方ですか

大きい絵を描くときは計画立ててやることもありますけど、この絵のときは何を描くのかはさておき、まずは使う絵具を決めてそのときのテンション、ライブ感を大事にして色だけの画面をつくりました。1~2日置いてまた後先考えずにどんどん色を重ねていくと、みえてくる形がある。

今回の場合は熊ですね。熊という形を起こしてそこから浮き出たイメージのもとに背景を探って色を重ねていくと、真っ白な熊が中央にいるという方向性が見えてくる。

大体どの作品を描いていてもそうですが、そのうち物足りなくなる、予定調和感でこれ以上手が進まなくなるというときに、イメージを一度破壊するんですね。プクッと盛り上がる絵具があって、これをあまり後先考えず熊の上にトロ~と垂らしていって、1日乾燥させます。そうするとまた生き物らしきものがでてきたので、最終的に白熊と生き物の関係性を詰めていくという感じですね。

 

―経験がモノをいうスタイルですね

この絵は全部ライブ感でやったといえばやったのですけど、それだけだと突き詰められない、最初から用意周到にしておかないと途中で行きづまってしまうことももちろんあって。ただあまりにも下準備をしすぎると、自分はどうも持ち味を殺す部分もあるということを感じていて、今はそのバランスを探っているところでもありますね。

 

―コンセプト化が難しいようにも思えますが

コンセプチュアルなものはどちらかというと好きなんですけど、自分では逆のことをやってしまっているところは確かにあって。常につくるときは後づけになるというか、つくっている途中に言葉が浮かんでくるんですね。絵に対峙して描き進めていく過程や描き終わったときに、自分のなかのストックが必ず反映されていると思うので、自分自身でそれを読み解いて意味づけをする。このプロセスが大事なのかなと思っています。

 

―そういえば、自分の絵を子供たちに落書きさせるというワークショップは小林さんらしいですね

自分の絵は予期せぬ状況を挟んで、最初のイメージと全然違うイメージで落ちつくんですけど、それをワークショップで追体験してほしいという気持ちはあったかもしれないですね。今まではただやってみたい、思いついたことをやっている感覚だったんですけど。

今回、展示期間中に3日間ワークショップを実施してお客さんからの反応を聞いていると、自分の制作の経験とか、制作プロセスの一部を体験してもらいたいという意思が明らかに組みこまれているんだなというのはすごく感じました。

 

面白いことへのアンテナとチャレンジ精神

―話は変わりますが、詩人の佐藤yuupopic さんと活動されていますね

行きつけの古本屋の自費出版コーナーでたまたま詩の合同誌「て、わたし」という、日本の詩と海外の詩をひとつのテーマのもとに紹介する冊子を手にとって。そこでイラストを募集していたので、僕は本が好きなこともあってこういう機会でもいいから挿絵を描きたいと思って連絡しました。

それまで挿絵を描いたことはなかったけど、詩の言葉に対して自分が浮かんだイメージを固定しない程度にそっと詩のそばに置くような感覚はとても新鮮で。毎号描くようになって、「て、わたし」を購読されていた佐藤さんが僕の絵を気に入ってくださって個展にいらしてくれました。佐藤さんは野球をテーマにした詩を書かれていて、僕は野球に興味はなかったけど詩としてはとても面白いと思って。それで何かできたらなという話から、一緒に詩集をつくりましょうということになったんですね。

制作方法がちょっと変わっていて佐藤さんのかかれた詩を読みこむ代わりに佐藤さんが詩を書くにあたってイメージしているアーティストの曲やアルバムを聴いて、イメージを膨らませました。そうして出来たのが3rd詩集「野球という名の、ひかりに似たもの」です。そのご縁が繋がり、昨年4月から「待てど暮らせど、サーカスは来ない」(通称:サーカス展)をカフェスペースや書店など3箇所を巡回する形で二人展も行なってきました。

 

―理想的なクリエーションですね

佐藤さんとはビジネス上の関わりではない、表現の共鳴、といっても完全に趣味があうとかそういうことでなくて、何か共通する領域があるけどそれが何かはお互いはっきりとはいえない。だからそこをちょっと探りたい、そういう間柄だからこそ、そういう切り込み方、チャレンジングなことができたのかなと思います。

 

―何というか受身じゃないですよね?

僕は全然受身じゃないです。趣味的な感じで公募展の情報サイトを日課的にみるのが好きで、日本画とか絵画に限らず、地方のどこかの町が募集しているものでも面白いなと思ったら応募してみたりしますね。面白いものを見つけたいみたいな気持ちは常にどこかにあります。依頼を受けたら受けたで喜んでやるんですけど、ただ声がかかるのを待っているのも退屈だなと思ってしまうというか。自分から、自分の持っている手駒を見繕って興味を持ったところに出向いていきたいみたいな部分は凄くありますね。

 

―今は若手作家にとってチャンスの時代で、賞をとることについてはいかがですか

実はこの白熊の絵は落選したもので、入選したい意志に束縛されずに描けたという意味ではよかったんですけど。大きな公募展で賞をとったらどうだろう、そうしたらこういう方向性につながるのかなという期待をもつことは好きです。でも邪さがあると絵としてはダメですね。それはそれ、これはこれというか。

僕は卒業してすぐ絵本のコンペで大賞をとってしまったことがあって、絵本が出版されて色んな期待をされて自分自身も舞い上がってしまった部分も正直ありました。でもやっぱり実力が伴わないと先に進めないのは当然で、ひとつ何かをとったからといってそれで人生が激変するかといったらそんな簡単な話ではない。

賞をとったことがないという焦りもわかるんですけど、賞をとってしまったことによる自分がしぼんでいく感覚、危険性も知っていて。チャレンジ精神を捨てたくはないけれど、賞をとることを大目標にしてはダメだというのはすごく感じています。

 

ヘルツアートラボで「造形教室」を6月末から始められるということで、新たな拠点となりますね

オーナーの意向はもちろんありますが、僕としては今専門学校、福祉施設、プレスクール保育園、中国人の留学生を対象にした美術予備校で教えていて、それぞれの場所で培った経験を踏まえてこの場所に集まる人たちにふさわしいアレンジをしたもの、他ではできなかった新しいことをやってみたいという思いはあります。

とびらプロジェクトで学んだ「聞く姿勢」が相手の立場に問わず応用が利いて有効に働くのだなというのも経験を重ねるごとにわかってきました。人見知りではありますが、一体どういう人が集まるだろうという不安は不思議とありません。

ヘルツアートラボが自分の中の作家活動とワークショップ活動のふたつがつながる拠点になりえそうだとは正直展示を始める前までは全然思っていなかったんですけど、その点でありがたいですし、僕でもここに還元できるんだなという安心感とワクワク感がありますね。

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Photo:Tommy-Jean KITADE

関係者一同。左から画家・小林大悟社会福祉法人つみき職員・五十嵐遥香 ヘルツアートラボ代表・漆崎孝子、日本画家・杉岡みなみ、美術作家 音楽家・折笠敬昭(敬称略)

小林大悟 プロフィール

1990年東京都生まれ。多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業。アート・コミュニケータ「とびらプロジェクト」三期修了。絵本「せんのりきゅう」NHK富山「NEWS富山人」で朗読付きの紹介動画公開中。長雪恵との二人展「いないどうぶつ」展 (アートアンドシロップ@横浜 6/7~-7/31)開催予定。