人と藝術と魂と

アーティストをたずねて ほか

インタビュー07:人との関係性で発見したものを 自分の言語で絵にしてずっと届けていけたら  日本画家・古山結さん

今回は板垣夏樹さんのご紹介で、東京藝術大学大学院の博士後期課程に在籍する日本画家の古山結さんを訪ねた。10月に原宿で開催された「青参道アートフェア」の一軒家のギャラリーを使ったグループ展にうかがったとき、彼女が「名刺です」と渡してくれたのはプリントされた普通紙をはさみで雲形に切りぬいたもの。部屋の入口の外壁に飾られていたのは、来てくれた友人とのおしゃべりで話題にあがったものを描いたという即興の絵。展示は「What are us made of?」のテーマのもと、日々の1シーンが断片の組みあわせや不思議な形態によってポップに描かれた作品群。

 

そのなかでも人物がうつむき加減で白帯らしきものをさわっている「Touch」(S50号)には、よくわからない要素がいくつかあった。聞いてみると「ウーン…こうしたかったんですよねぇ」とのお答え。日本画の作家にはめずらしく下図はなし。本紙に直接描いては消し、消しては描いて、自分の感覚に忠実に手探りでつくりあげた。「下図を転写する手法で失われてしまうもの」を逃さないためだという。別の作品では3日間紙を眺めていたと、困ったような楽しいような顔つきで話してくれた。

 

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「Touch」


ネット社会の現代において「知覚を通じて世界を認識すること」を改めて考え、体感を大事に制作している古山さん。藝大に入学してみれば周囲はみな絵の技術に長けた者ばかり。早い段階から自分の絵をうみだすべく「絵画の分解と再構築」に取りくみ、追求してきた様子がうかがえた。一枚の絵を「完成」させるために1年近く試行錯誤した時期もあったという。一見そんなシビアな闘いをしている人にはみえない。ギャラリー2階のテラスから来場者に「ありがとう」と声をかける姿も、自然体でおっとりしている。

 

ご自宅を訪ねると、取手校舎の共同アトリエを使っていることもあって、部屋は机まわりもふくめ意外なほどすっきり整理整頓されていた。本棚わきの壁には、文化庁の障がい者アートの研修の際に買ったというものをはじめ、仲間の小作品が飾られている。奈良美智さんのグッズもある。この日は11月だというのにポカポカ陽気で、西日が差しこむ室内の一角に額に入った作品が立てかけてあった。それはインスタで見たときとはまったく違う輝きを放っていた。「I want to know more」と名づけられた作品を前に、ちょっと興奮気味に古山さんへのインタビューが始まった。

 

自分に正直に「いまこのとき」を大切にして描く

―人間が本来もっているパワー、可能性を感じさせてくれますよね。子どもがこの絵を見たら勉強したくなるような…。

 

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幼稚園に行って子どもと一緒に絵を描く仕事を1、2年ほどやっていて、そこを卒業するときに気づいたことがあって。私のなかで大切にしているものは「あなたに会えてうれしかった」「あなたのことを知りたい」、このふたつくらいかもしれないと。特にもっと知りたいっていい気持ちだなと。それで描いた絵です。

人間っておもしろいですよね。自分のこともよくわからないじゃないですか。私は子どものときに春菊を食べられなかったんですけど、食べられたという経験と記憶によって平気になっていく。自分に備わる機能の使い勝手の問題で、いまでもその繰り返しで生きているんだなぁって。そうやって苦手なこととか自分自身のことがわかると、人と話すことが楽しくなって。ほかの人も同じように、それぞれが使い勝手を試しているわけで。だから、もっともっと知りたいと思うんです。

いつからでも知ろうとすることはできるし、いつからでも始めることができる。どういう状況におかれていても、「自分がどうありたいか」を模索することはある程度できると思うんですよね。それをみんながちょっとずつやったらおもしろいし、もちろん私もそうしていきたい。


―絵の下半分を白で塗りつくしているのですね

画面をいっぱいに埋めつくしたいという欲求はないんですよね。「跡」を残す感覚、あるべきかたちを探っているという感じなので。自分でいらないと思ったものはいらなくて、空いているスペースに白や黒い色を使うことがよくあります。

白い絵具をいっぱい持っていて、真っ白のほかにグレートーンをはじめニュアンスが違うものが揃っているので、余白のなかでどういう白をみせたいのかを考えて組みあわせています。あとは、日本画の試験が白地の紙に卓上の静物を写生する「静物着彩」なので、白背景を基本に考えているところが、もしかしたらあるかもしれません。

手の際の塗り残されているところが一番白いかな。紙の地ですね。人間の想像力が補完してくれるので、余白がある構図にだいたい落ちつきますね。なかなか描ける絵ではないので自分でも気に入っています。すごくコンディションがよかったので時間もかかっていなくて…。下図をつくらずに描いた最初の絵で、そういう意味でも大切な作品です。


―複雑な色合わせが味わい深いですね

日本画の画材は本当におもしろくて、岩絵具と水干絵具その他ことなる物質の組み合わせでいろんな色味や質感がでます。色のイメージから始めて質感を決めることが多いかな。

このときどんな風に描いたか、今はもう覚えていないので同じ絵はもう二度と描けないです。どんな状況においてもある一定の、同じような技術とクオリティのものを提供していく職人的なことは、私には難しいなと思って。だから正直にやる方向で、その時しかできないけれど自分の手法の組みあわせで説得力があるものをつくるほうが向いているのかもって。この絵を描いたあとくらいから思うようになりました。


―その方が楽しいですよね?

楽しいです、アハハ。楽しく描けるようになりましたね。自分のなかで結構大きな変化になった絵があって(といって見せてくれる)学部3年生のときかな。このころ、ずっと恨み辛みをいう人の相談にのる体験をしていて。人間が石や檻のようになっている感じを描きたいなと思ったんです。

そんなときに参考になったのが、梨木香歩さんの小説「からくりからくさ」で、女の人が毎日機織りをしながら腹がたつことや、やりきれないことを解消しているという描写を目にして。それで(洋画家の)靉光(あいみつ)さんの「編み物をする女」を見たときに、これがめちゃくちゃ怖いのはどういうことなのかと。このころはまだ絵を描くにあたって説明的に考えているんですけど、表現したいことにあわせて人のかたちを変えるということをやってみた作品ですね。

 

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「Sediment」


これは学部2年生かな。電車のなかで実際に見かけた、本を広げたまま寝てしまっている男性を描いていて、かといって人物自体に興味があるわけではなくて。この頃から絵をみた人に、抽象的で普遍的な意味を汲みとった大きい範囲のことを伝えたいとは思って制作していました。具体的に絵を描いて普遍的なことをいえる人もいますけど、私は細かいことは置いておいて別のいい方をしたくて。そう思いながら、まだこのころは色々細かく描きこんでいるんですけど。だんだんとやっていくうちに、自分の言いたい範囲が具体的にいえるようになってきた感じですね。

 

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作品の「完成」とは何か?の問いに向かいあった日々

―作品集を拝見すると子どもが多いですね

 

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「ごめんね」

 

子どもが好きだから描くということではなくて…。自分の子どものころをすごくよく覚えているので、その記憶を描いている感じに近くて。見た人の反応が違った絵があって、「2人の子どものうち、どっちが謝っているのか」で、私の周りでは泣いている方が謝っているという人が多かったのが、子どもに近しい人たちは困ってみつめている方だっていっていて。実際は泣かれて困った経験がベースになっていて、絵ではこういう見方の違いを生みだすことや考える余地を与えてくれるという面白さを感じましたね。


―友達とのケンカや断絶を描いたものは、緊張感ありますね

 

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「Letters」

 

ほのぼのした明るいタッチのものだけを描いていくと自分が疲弊していくかなって。自分のなかの鬱屈した気分、やさぐれ感も絵に入れられるようになりたいと思っていたところがあったので。陽と陰の両方の雰囲気がある感じですね。

手紙のモチーフが多いのは無意識に言いたいことがあるって思っているのかな…。怖いですよね?私のなかでは一番怖いのはこの絵で…(といって見せてくれる)。ここで1か月くらい誰にもあわずにずっと絵を描いていて、でも何もできなくてこんな絵を描いてしまったというもので…(苦笑)完成度を高める方向へシフトしていったこともあって疲れていて…このときはしんどかった…。


―1年近く一枚の絵を描かれていたことがあったと先日おっしゃっていましたね

足して描いてまた消して描いて…背景がどんどんかわっていくだけで何も完成しないという…頭で構築したものをちゃんと画面に配置したのはいいけど、結局これ何をいいたいんだっけ?みたいになって。こんな風に描いてもダメだってすごく落ちこみました。落ちこんだ時期でしたね…。

大学の課題制作だと決められた期日があるので、どうしても「仕上げなければ」という雰囲気になっていることを自分でなんとなく感じていて、私の学部の卒業制作はまさにそれで完全に埋めつくされています。学ぶべきことやるべきことが多すぎて、終わらないという心境の表れでもあると思います(苦笑)。

そこから本当にそうしないといけないのか?という視点をもって、自分が自然に描くとこうなるけど、じゃあ完成度って何だろう?とか実際にいろいろやってみるようになって。自分の違和感に対して、今もひとつ一つ検証している途中ですね。やっぱり分解してみてこれは何だったのか、いるのかいらないのかを考えないとできないんだなって。

大学院修士のときの修了制作は、紙の地がみえる塗りのこしがある画面にすると決めて、3分割の違う時間軸で構成して。今思えば些細な決断ですが、当時は自分がモヤモヤと抱いてきたことに対しての回答ということで、大きな意味があることだったんです。

 

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「道連れ」


―それが大学の買い上げになってしまって(笑)

ハハハ、ありがたいことです。「道連れ」というタイトルで。過去の記憶や出会った人、自分と関係が生じたもので人生はできていてそれは変えられない、それを踏まえて生きていくしかないよね…そんなことを考えていました。

3分割の左側が電車のなか、真ん中と右側は室内でも場所は違っていて、それを組みあわせた空間です。まだ説明過多というか、情報量が多いかなとは思いますけど、自分に近しい感覚を描くことはできているかなと。

私の家族は明るくていい人たちですけどケンカもしますし、それだけでダメな家族かもしれないみたいな不安を幼心に感じていた時期があって。振り返るとそんなことはなくて子どもならではの感情だけど、そういうものが自分のなかに残っていたりするんですよね。まぁそんなに大っぴらにいえることってあまりなくて…(笑)何かを具体的にいおうとすると別の方向へいってしまうし、その辺りはむずかしいなって思います。


ダンサーのドローイングを通じて得た新たな感覚

―日本画第二研究室は毎年「素描展」があって、そこに出されているのがまたユニークな作品で

 

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修士入学したての2016年かな。友人のダンサーが知り合いのギャラリーで公演することになって、私はライブパフォーマンスで彼女の絵を描くことになったんですよ。それがきっかけとなって、その友人に擬音やことばが書いてあるくじをもとに動いてもらってドローイングしています。

彼女の変な動きに爆笑しながら、おしゃべりしながらやるのは新鮮で、普段つかわない回路が開かれるような感覚がありますね。ダンサーの動きは描こうとしても全然描けないんです。最初はかたちを覚えて描こうとしていたのが、だんだんとそうじゃなくてもいいんじゃない?って。

イメージを考えるいい訓練になるし、描けないものをなんとか描こうとしたときのかたちや線を確認することは役に立ちます。今はおもしろい試みとして楽しんでいるだけでこれが何になるのかわからないけど、そういうことこそ大切かなと。もともと身体の変化という観点からダンスに興味があって。パフォーマンス、絵それぞれが伝えられるものは何かを考えたりして、いい影響をいただいているので今後もやっていけたらいいなと思っています。

自分のなかで完成度の問題をはじめとした対外的なことが一通り終わって、気がラクになって本来の描きたいことに集中できるようになってきたんですよ。

そういえば絵画創作概論という授業内で「海外の人は絵がつくられていく盛り上がりの地点で止める傾向にあるのに対して、日本の人は最後、終息するまできちんとやることが多いよね」という話を聞いたことがあって。どちらかが優れているという話ではなくて、そういう見方がおもしろいと思って。盛りあがり、終息という捉え方のもとにどこで切るかを考えると気がラクだし、そのあたりを自分でどういう塩梅にしていくかは今後の課題ですね。


―今夏の二人展はその成果が表れているようにお見受けしますが

 

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「I’m glad to see you.」


ああそうですね。ドローイングの結果が反映されて自分でもだいぶ変わったと思います。ずっと表現と親しくなりたいと思っていて、少しは親しくなれてきたのかなと。あまり考えなくても描けるようになってきています。「I’m glad to see you.」の絵は、どんどん描いてまわりを消すという方法をとっていて。顔料や水干絵具で描いていった後に、アクリルとジェッソを混ぜたもので不要な部分を消していきました。行きつ戻りつしながら、もうちょっとここは具体的に分解的にとかやっている感じですね。本当にやっと楽しくなってきました。そんなこと気にしないでいいっていうことを、気にしないでいられるようになってきて(笑)


―青参道のグループ展で拝見した「Touch」も下図なしで感覚にまかせて描かれたということで

私は自分のことを子どもだなと思うことが多くて。それは子ども時代の感覚を覚えているという理由以外に、あたりまえですが、世の中には自分がまだやったことがないことであふれているので。そういう意味で子どもも大人も関係ないというか、何歳であろうが関係ないと思います。だから絵のなかの人物も子どもというわけではなくて、見る人の判断に任せたい。私が見かけた子どもとのやりとりもきっかけかもしれないけど、日常で感じた「触ってわかることの尊さ」の実感というか、産物だったりするんですよね。そういうものを逃さないで描きたかったんです。


移り変わっていくものに興味がある だからこそ正直に

―昨年受けられた文化庁の障がい者アート研修はいかがでしたか

もともとアウトサイダーアートといわれるものに惹かれる部分はあり、日本で認識されているアール・ブリュットの定義も気になっていました。でも一番衝撃だったのは、実際に障がいを持つ方々との制作体験や、制作現場を見られたことでした。自由にやっていいんだと思える大きなきっかけになりました。描かれている絵に力があって正直なんですよね。やっぱり正直さが大事だと思わされました。

アール・ブリュットってもともとは生きた芸術という理念のもとに集められた個人のコレクションで、日本では「障がい者のアート」という認識が強い気がします。そのことで、作家性より特殊性に目がむけられてしまう現状に思うところもあります。

そうした彼らを取り巻く問題を理解しながら、作家で障がいがある方と、障がいのある方が描くこと、それ自体は必ずしも同じではないな、などいろいろなことを考えさせられましたね。芸術という評価軸においては彼らだけでなく私たちもまた矛盾に苦しむ者であり、それでもやりたいことをやっていこうと思えるようになってとてもありがたい機会でした。


―古山さんが心動かされるものは

好きな作家はたくさんいますけど、絵はやはり描くものという意識が強いです。純粋に世界観に浸れるのは音楽ですね。民族音楽とか、独特の節回しと音階で何いっているのかわからないし、何からでてきた音なのかわからないけどいいな、みたいなことを面白がっています。


言葉だけど言葉じゃない感じ。日本語でもリズムと音が混ざって言葉じゃない感じになっていく、そういう変化がおもしろいです。絵ももともとページをめくって動かせられる絵本が好きだったので移り変わっていくものに興味があるのかもしれません。「通りすぎる存在」っていいですよね。信じられると思います。

絵本の仕事はやってみたいですね。もしつくるとしたら、言葉がない絵本、言葉があってもストーリーがない絵本をつくってみたいです。楽しい絵本をつくりたいですね。子どものときに読んでおもしろかったのは「めっきらもっきらどおんどん」「わたしのワンピース」「かいぶつになっちゃった」「スイミー」「きゅうりさんあぶないよ」「月夜のでんしんばしら」「るるるるる」。

絵本作家では五味太郎さんや長新太さんなどの絵が好きで、大人になってからはミロコマチコさん、ヨシタケシンスケさんも好きです。絵画では大正時代の洋画家・桂ゆき、江戸・明治にかけての日本の美術に出てくる怖いんだか可愛いらしいんだかよくわからない表現もとても好きです。ちょっととぼけた、でも少し毒があるような感じですね。ちょっと自分と近しいものを感じて好きです。


―ああ…古山さんの自画像、おかしみがありますしね

これはちっちゃい自分をいっぱい描きたくて。ちょうど友達と同居していた時期だったので、いろんなポーズをとって友達に写真を撮ってもらって、それをデッサンしたものを組みあわせました。アハハ、頑張って描いていましたね。

 

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自画像


―これまで2人展やグループ展をたくさんやってこられたのに、名実ともに個展は来年4月が初めてとか

今まで個展をやるイメージがどうしても湧かなくて。青参道のグループ展は実質個展だったので、それをやらせてもらっていけるかもと思えるようになりました。こんなに長い間学校にいるつもりはなくて、でも途中で取りくみを放り投げるわけにもいかなくて、気づいたら博士まできていたというのが正直なところなんですよ。ここまできてよかったです。今までいろいろなことを試してきて、ようやく自分は何ができるのか、やりたいのかが見えてきてそれができる。楽しみです。

個展では変形パネルに挑戦するつもりで、いろいろベニヤを切ってみて厚みを調整しているところで。紙を袋張りにできないので糊でうまく貼れるのか、そこに絵具をのせたときにどこまでシワが寄るのか、いろいろ検討してみないと。

これまで岩絵具や画材に引っ張られて絵が決まっていくことが多かったので、まずはパネルに引っ張られることで絵がどう変わっていくか試してみようと。逆に絵からパネルの形を決めることもやってみるつもりです。京橋のギャラリー「アートスペース羅針盤」にお世話になる予定です。これから論文の執筆が本格的に始まるので、そちらも頑張りたいと思います。


古山結(ふるやまゆい)プロフィール

 

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1991年愛知県生まれ。東京藝術大学美術学部 絵画科日本画専攻卒業。同大学大学院 美術研究科絵画専攻日本画分野 修士課程修了。同大学大学院 日本画博士後期課程 第二研究室2年在籍中。2020年4月アートスペース羅針盤にて個展開催予定。