「美術作家のインタビューから見えてきたもの」
若手美術作家の紹介で続けてきたインタビューをいったん終了することにした。村上仁美さんに始まって1年近く、ふいに途切れる兆しが見えてそれを受け入れることにした。文学研究者Aさんとの偶然の出会いからはじまって、ひたすら流れに身をまかせてきた。今思えばAさんのインタビューが暗示的だったのもある。
何だろう…これは…多少考えてみるふりもしたが、途中から靄のなかを歩いていくことに決めた。そうして春のある朝、起きぬけのぼっーとした頭にある考えが浮かんできた。それはしばらく止まらず、急いで机の上にタロットカードを並べてみて確認する。「そういうことだったのか」と天の計らいに感謝する思いでいっぱいになった。
作家ひとり一人の生き方、そこから生まれる作品は、形而上的な上の世界と地下にある深層心理の世界とが空と海の鏡あわせのようにつながって循環していること、その際に天使的ともいえる心の働きがキーとなっていることがよくわかったのである。それはタロット的にいうと、神と人と天使の共鳴になる。
タロットは占いの道具として見られるが、心理学者のユングもマルセイユタロットの研究をしていたくらい、人間の完成や霊的向上の道程がしめされた高度な象徴図である。誕生不明作者不明の神聖芸術のひとつだ。重層的な象徴体系をもつが、人生の経験において大切な気づきを得るための経路と思しきものがあって、8人で全パターンを網羅していた。だからこそ、今回終わりの方向になったのかもしれない。
トップバッターがユングに関心をもつ彫刻家・村上仁美さんだったのも興味深い。空洞に象徴される生と死の器の女性像をつくる彼女をカードで表すとすると、「恋人」「13番」「審判」となる。何かひとつを選択し、もしくは2つを融合させて自分のなかの何かを死に至らしめ、そうして何かが芽吹き、迷走や停滞を経て大きな愛につつまれる瞬間に出あう。誰もが体験する過程であり、宇宙の法則であり、それを美として表現した作品に人は共感をもつ。村上さんを紹介してくれた文学研究者Aさんもきっとそうだったと思う。
取材時は村上さんがお父様を亡くされてまもなく、Aさんは同じく旦那様を、私は知人の男性画家の死が長年、心にひっかかった状態だった。運命の巡りあわせの妙で、これは一種セラピーの時間だったのかもしれない。
タロットは人間には神性がある、本来神であるという「グノーシス」思想の書であり、「グノーシス」とは「Gnoosis」と書き、ギリシア語「gignooskoo」の名詞形であり、英語「know」の語源ともいわれる。人物をモチーフにしている作家はもちろん、神は万物に宿り、宇宙的なので、つまるところ全員がそうした神性(霊性)を描きたいということだと理解した。
分離、個別化した現実の世界において、二元的にさまざまに分離したものを統合する過程をあらわすもの、またひとつの理想の表現は人を正気にさせると思う。芸術がこの世に必要な理由でもある。芸術家になるための道を歩む作家に、人は自分のなかにもある神性をみるから社会にとっても大切な存在なのだ。これまで漠然と思っていたことを作家の方との対話を通じて言語化する機会に恵まれたことに感謝したい。最後に作家の皆さまの今後のご活躍をお祈り申しあげます。