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アーティストをたずねて ほか

文学研究者Aさんの告白(2)

運命的にであった美術作品にこころを救われて

現代美術家・陶芸家の村上仁美さんの作品を知ったのはTwitterがきっかけだった。Aさんは最近ようやく出向くことができた個展会場で「温かい土」という名の作品と出あう。女性をモチーフにしたものが多いなかでそれは異彩を放ちひときわ目立っていた。こんもりした山に苔や植物が生い茂ってカタツムリが確認できるほか、洞穴からは青白い蛇がはいでてダイナミックに絡みついている。どこか神話的な雰囲気もある。

 

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(c)CBD Tarot de Marseille by Dr.YoavBenDov, http://www.cbdtarot.com

 

てっきり山の風景かと思っていたAさんは、村上さんから説明をきいて驚いた。上あごからの人の顔がモチーフで洞穴らしきものは口だったのである。Aさんは自分がなぜ惹かれたのかがわかった。夫を火葬して納骨する際、頭蓋骨の構造を理解して頭に焼きつけていたのだった。生命力にみちた作品をみて「死ぬことは終わりではない。自我が消滅しても植物が生えでるように新しい何かが生まれている。生命の基盤には死が存在していて、それは巧みに織りこまれているのだ」という思いがわきあがってきた。

 

「私は、村上仁美さんの作品に共通するテーマの1つは『喪失』であると考えています。誰かを失ったとき、その人が占めていた場所に穴があく。その穴から立ち上る苦痛や悲哀に耐えきれず、仕事やお酒で穴をうめようとすることもあるかもしれないけれど、なにをどうしたとしても、結局穴は絶対にふさがらない。なぜなら、死んだ人は決して生き返らないからです。村上さんの「温かい土」は、そうした喪失を抱えつつ、なお新たに生を重ねていくことは可能なんだということ自体が、象徴的に造形されているんですよね。だからこそ、この作品を見て、私はとても救われました」

 

これまでさまざまな芸術作品にふれてきたが、「出会うべくして出会った」と感じたことは初めてだった。「ここまでがんばって生きのびてきてこの作品に出会えてよかった」と、Aさんは村上さんという芸術家の存在に感謝の思いがつのった。

 

死は誰にでもおとずれる。しかし、それがいつ訪れるかは分からない。優れた芸術作品はしばしば、そのような死の影を無造作に露わにすることがある。場合によっては、それを目の当たりにして、不安を感じ、反発するような気持ちをもったり、目を背けたくなったりする人もいるかもしれない。しかし、死や苦しみ、喪失のような言葉にできないようなことを何とかして語ろうとしたり表そうとしたりする努力と葛藤の内に生み出される芸術作品こそ、危機に晒された人間にとって、真の意味での支えとなってくれるものであるのではないか。

 

文学研究者のAさんにとって、文学作品とは学術の対象物という意識が当然ながら強かった。しかし、一時的にではあれ、夫の死は、Aさんを、彼女がそれまで日常的に使いこなしていた知的かつ分析的な言葉が一切無効化する地点にまで連れ去ってしまった。そうした地点に否応なく立たされたAさんは、芸術家の力を本来の意味で体感してきたか、芸術家の技術によってつくられたものを本当に理解しようとしてきたかを改めて考えさせられた。

 

Aさんは、夫の死を機に自分の生の在り方はこれまでとは変わってしまったと感じているという。同時に、日常の秩序を崩壊させるほどの喪失が、自身の生に組みこまれてしまっている以上、それを無視して研究を継続することはできないとも思っている。

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