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アーティストをたずねて ほか

大惨事をどう表し、どう力になるか『カタストロフと美術のちから展』

『カタストロフと美術のちから展』(~2019年1月20日まで開催 六本木ヒルズ 森美術館)に行ってきた。大惨事(カタストロフ)をテーマに、戦争やテロや災害など問題が山積する国際社会において、よりよい社会にするための美術の役割を問う展覧会。オノ・ヨーコ、トーマス・ヒルシュホーンのような大物から注目の若手まで、国内外の40組の作家が参加している。

 

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今回、日本にとって大きなものは東日本大震災だ。震災を契機にして制作された10作品が展示されている。震災から7年がたとうとしているなか、東京に暮らす自分が戦慄するような思いでみたのが、平川恒太氏の「ブラックカラータイマー」。

 

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108個の電波時計福島第一原子力発電所の収束作業にあたった作業員の肖像が黒い顔料で描かれている。遠目には一見真っ黒に見えるが、近づくと闇のなかに防護服姿の彼らがいた。さまざまな角度から描かれているなか、マスクの奥の目がこちらをしっかり見据えている彼と目があったとき、ドキッとした。恐怖、諦念、絶望、無関心、焦燥…さまざまなニュアンスが漂っている。

 

作品タイトルを特撮の「ウルトラマン」から引用して、時計の秒針音を人間の心音や制限時間として表し、切迫感のある生と死のメッセージを伝えているのも見事だ。私のほかにも、おおくの人が壁際に自分の耳を寄せてその音を確かめていた。

 

事故直後の原発構内で作業にあたった作業員は約2万人。NHKの「クローズアップ現代」が「原発事故 “英雄たちはいま” 被ばく調査拒否の実態」(2018年3月6日放送)と題して、対象の6割以上から協力を得られない現状を放送している。

 

受診をいいだせない職場環境、前提となる被ばく線量データへの不信、受診をして異常が見つかった場合でも治療につながらない仕組み、などその理由はさまざまだ。記者の報告によれば、多くのひとに「国に見捨てられた」という気持ちが強いという。今後の廃炉作業を担う作業員の方々のためにも、政府は支援体制を整えてほしい。私はこの方たちのおかげで、東京でいま暮らしていられるのだから。

 

アーティスト集団Chim↑Pomは、震災から1か月後、福島第一原発から約700メートル先の東京電力敷地内の展望台で撮影した映像作品「REAL TIMES」を出展。本展のプレ・ディスカッションシリーズのひとつ、「フクシマ2011―2018」で、メンバーの卯城竜太氏は、最初は通用した困難に立ちむかうユーモアが、今となっては難しい事態の複雑さを告白している。時がたつほどに震災の風化や忘却の問題も深刻になってくる。

 

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本展を通じて、忘却に抗い議論を喚起したいという学芸員に対して、メディアがそうやって声高にさけぶことが人々のこころを遠ざけるという卯城氏。これに関して両者の言い分ともわかる気がする。SNS全盛の大ネットワーク時代、従来のメディアとの連携もふくめて縦と横のコミュニケーションをどうデザインしていくか、ということになるのだろうか。

 

テレビ報道では、津波のシーンなどを繰り返し放送することの悪影響や、実際に視聴者が知りたいこととのギャップが問題視されていたように思う。その後、震災報道を検証してそのあり方を見なおすための公開議論をおこなうなど、テレビ局も努力している。テレビも美術も「災害の記録を後世に伝え、警鐘をならす」という大きな目的については同じだ。ただ美術作品をみる良さは、より多様な表現にふれて自分の想像力を働かせて考えることができることだろう。

 

写真家・畠山直哉氏が「あるはずのものがない」視点から故郷の風景を撮った「陸前高田2011」シリーズ。画家・堀尾貞治氏が阪神大震災で崩壊した地元・神戸を描いた「震災風景」シリーズ。いずれも個人のかなしみと土地への愛情がじんわりと伝わってきて、おふたりの心中を思うと同時に、もし自分の街が、ふるさとが災害にあったら…と改めて考えずにいられない。そしてわたしたちもこうしたときには同じやり方で自分の傷ついた心を整理することも、癒すこともできるじゃないかと思わされる。

 

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そのほか、福島の地元民と作家、ボランティアの共同作業からなる、加藤翼氏「3.11プロジェクト」や「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」は、地元の文化を再発見していくなかで人とのつながりを作りだしたよい事例だ。地震大国の日本にとって、今や絶対に安全な土地は存在しないといってもいい。それだけに多くの共同体にとって参考になるに違いない。

 

個人的に一番力をもらった作品が、池田学氏の「誕生」だ。ご本人は当時海外在住で震災は体験していない。さまざまな自然災害を乗りこえた文明の再生が主題の、幅4メートルもの大作。大波が打ちよせて傾いている巨大な樹の根元には瓦礫の山、枝あたりにはバスや飛行機といった漂着物に、小人のような人間がたくさん描かれ満開の花が咲き乱れている。宇宙自然の根源の存在を感じられるとともに、自分がそうしたものの一部であること。ああ、自分は生かされているのだったと思いだす。

 

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作家は3年3か月の制作期間に右腕を傷めている。わが肉体の回復を震災の復興と重ねて感じた瞬間があり、花を咲かせるというアイデアを思いついたそうだ。こうした自分なりの実感や把握が作品に魂を宿らせるのだろう。ちなみに恩師は中島千波氏とのこと。この絵は細部に人や物がたくさん描きこまれており、それがまたユーモア満載でじっくり見ていると、時を忘れるほど見ごたえがあった。

 

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展覧会最後に展示されているのが、本展のメインビジュアルにもなっているオノ・ヨーコ氏の参加型インスタレーション「色を加えるペインティング(難民船)」。

 

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真っ白な空間と設置された小舟ともに、何かを書きこむスペースはすでになかったが、平和の願いをこめて青色のクレヨンで塗りつぶしたハートを無理やり描いてきた(笑)作家の趣旨とは違うかもしれないが、人々の祈りが空間と物質に命をふきこみ、ある種の呪術効果を発揮する場をつくりあげているのだとしたら、おもしろい。そして美術のちからは、今の時代、実際に目にみえない何かに働きかけて何かを変えていく、そんなマジカルパワーを発揮できるように思うのだ。